代表佐藤のメッセージ

代表佐藤のメッセージ

はじめに

現在インターネットという道具が私たちの生活にどんどん影響を与えています。遠い外国の人ともテレビ電話のように会話する事ができたり、多くの人が薦めるお店を一瞬で探せるようにもなりました。最近ではソーシャルネットワークの発達もあり、実生活に直接繋がるコミュニケーションを大量に、かつ高速に行う事すら出来るようになっています。ジャスミン革命を支える道具に使われたことも、多くの人々の生活に浸透したということを実感させた出来事では無いでしょうか。その一方で、何気ない一言が高速で拡散され過ぎることに恐れたり、大量の情報を持て余して心を蝕むような事態にもなってきています。

古代、火という道具を手に入れた人間がその使い道について成功と失敗を繰り返したように、現在、インターネットという道具は私たちにとって強力である一方で危険な道具ともとれるものでしょう。

サークルアラウンドのビジョン

私たちサークルアラウンドは「インターネットの力で新しいコミュニケーションカルチャーを作り出し、人間の可能性を広げる」というビジョンを掲げています。人間が火の使い方を会得して今の時代までの発展を築いたように、インターネットを活用したより良いコミュニケーションを提案してゆきたいと考えています。

ところで、人間の可能性はどのような事で高まるのでしょうか。私たちは以下のように考えています。

  1. 意思:強い意志が新しい可能性を育むでしょう。社会を変えるような大きな事でなくとも、個人の生き方や生活においても意思の力が新しい可能性を広げるはずです。そして強い意志は過去の体験から培われたものであると思います。みなさんも行動の理由を「なぜ…なぜ…」と問い続けると、過去の体験に辿りつくのでは無いでしょうか。
  2. シナジー:一人でできる事には限界があります。他人と刺激し合い、知識を共有する事で新しい可能性が生まれます。その為にはより円滑な人間関係を構築できる土壌が必要です。
  3. 温故知新:先達の意見や残された書物が私たちをサポートしてくれます。活版印刷から人々の知識の蓄積や伝播が加速されたように、過去人が辿った足跡の蓄積が人類の可能性を高めたと言えるでしょう。

これらのことを創業間もない頃の私たちは「コミュニケーションすること」「出来事を残しておくこと」という二つのキーワードで捉えました。また、影響を与えるべきは人々の実生活そのものであって、デジタルの世界の中だけに留まるものでは無いと考えています。

 

起きている問題

意思についてインターネットがソーシャルネットワークを中心にして発達している今、例えば以下のような事が問題として考えられると思います。実生活に近いコミュニケーションとして今はFacebookを中心に考えていますから、内容はそれに寄ったものになっています。

1. 沢山の人との出会いを一見維持できるようになったが…
ボタン一つで友人関係として記録できるようになった為、多くの出会いを維持できると感じられるようになりました。ただ、その為に以下のような問題が起こるのだと思います。
・多すぎる関係の維持が出来ない:相手を思い出せない
・広く浅くなる:深くあるべき相手はいると思いますが、メリハリが付けにくい

2. 流れてゆくコミュニケーション
流れ去ってゆく言葉や写真が多過ぎて自分に大事なものが探せないという事があると思います。その他にもこの結果として、(実際の)手紙やアルバムのような今まで「残っていたり、残していたり」したものが減ってしまいました。思い出をあるシーンでパッケージ化したこれらの存在は、後の私たちが不意に見つけて、過去の体験を呼び起こし、懐かしさで揺さぶってくれるものです。
今後、「きっとどこかにあるはずだけど、探せない」という『思い出の喪失』の問題があるだろうと予測しています。

3. コミュニケーションの場について
今までコミュニケーションは「場」をある程度作って行われてきました。例えば、会社であったり、学校であったりしたものです。それが所謂だだもれとなってきて、当事者以外の多くの観客がいる想定のコミュニケーションになってきています。その結果、本来はそれぞれの場に適した形や方法、内容があるのでしょうが、一緒になってしまいました。また、会社での顔、友人の前での顔、趣味の時の顔というものが見られてしまうという窮屈さが、所謂SNS疲れを生んでいるでしょう。

私たちはこういった事を少しずつで良いので解決を模索したいと考えています。提供する相手をITリテラシーの高い人だけでない一般の人と考えていることもあり、2や3の重点が高いです。

冒頭に「意思の力が人間の可能性を高める」というところがありましたが、ここはさらに掘り下げたいと思います。人は自分が「何をしたいのか、何が大事なのか」がわからないと決断することが難しくなるタイミングがあります。受験や就職でこれを感じた方も多いでしょう。そういった際に「自分を知る」ということが重要な要素になると思います。では、自分を知るためにはどういったことを考えたら良いのでしょうか。その重要なファクターとして、過去の体験があると思います。自分の気持ちを「なぜ」「なぜ」・・・と突き詰めてゆくと、どこかで過去の体験に当たる事が多いと思います。それは残していた文章であったり、どこかで話した言葉であったり、誰かとの交流であったり、作った楽曲だったりと様々な姿をしています。ただ、皆忘れてしまうのです。それを思い出すのは多くの努力を必要とするでしょう。せめて何か思い出す材料だけでも残せないか、と私たちは考えています。

過去を残せたら!…が、しかし

私たちがコミュニケーションを活性化させると共に、体験を残してゆく事も大切な事だと捉えていることは、これまでの話で理解していただけたかと思います。ただ、それにはまだいくつものハードルがあります。そもそも、残すべき瞬間を私たちはその時に知る事が難しいという事です。過去のある出来事が大事だったと気づくのが未来のどこかである、ということが殆どなため、いつを残すべきなのかを想像する事しかできません。期待値の高いところを保存することは出来そうですが、期待値の低いところは流してしまって良いのでしょうか。むしろ、何気ないところに何かが含まれていて「バカだったな〜あの頃」という形で大切な出来事になってしまったりするのです。

現状として、なるべく多く残しておく程度しか方法が無いように感じられます。

少なくともよく私たちが写真を撮っている場は、やはり期待値の高いシーンなのでしょう。例えば
・結婚式は人生の交差点。
・旅行は特殊な場と人という非日常のコンテキスト。特殊性があります。
・親は子の成長を願い、残そうとします。子はそれを後で見て親の愛情を後で理解したりします。

残したものも新たなコミュニケーションの材料に

記録したものが記録した人の懐にだけ収まっている状態では自己の満足だけで終わってしまいます。記録したものを同じ体験をした人、またそれが出来なかった人と共有する事でその記録を通したコミュニケーションが生まれるでしょう。旅行に行った後写真を周囲の人に見せるのは良くある事だと思いますが、これをもっとリアルタイムに近い形に促進させるとまた新しいコミュニケーションの形が見えてきそうです。

ただ残せばいいのか?

記録して残す為に、その大事な一瞬をおろそかにするべきでは無いはずです。
記録する事だけに偏った結果、その場での記録者自身の関わりが希薄になってしまいます。

例えば運動会の父親というシーンを思い浮かべて下さい。ファインダー越しに子供を撮影することばかりに集中するだけで良いのでしょうか?子供にとってその場で応援してもらう方が余程素晴らしい体験なのだ、ということを忘れてしまっています。

つまり、残す方法は出来るだけ手間のかからない方法でなければならないでしょう。そうでなくとも、人は「めんどくさい」という感情の為に、未来では必要と思うこともなかなか実行できません。夏休みの宿題をギリギリまで溜めていた人も多いと思います。

もっと楽にならないものでしょうか。

私たちは二つの「楽」を考えています。
一つは「たやすい」意味の楽です。手間を減らして「めんどくさい」という言葉を減らす事です。ただし、作業自体は残るでしょう。それが無い方が本当は嬉しいのですが。
それを解決するもう一つは「たのしい」意味の楽です。それ自体に心地よさを与える事で、作業から脱却し、作業を喪失させます。

おしまいに

長い文章を読んでいただいてありがとうございます。これは弊社が創業してから4ヶ月程度の間、様々な試みをし、失敗もし、社内の意見交換をしながら得てきた事をまとめたものです。今この文書が私たちの方向性を指し示しています。多くの仮説も含んでいますし、挑戦もあると思います。ですが、会社の最初の羅針盤として必要な要素が盛り込まれたものと確信しています。

最後になりますが、このような方向性に共感する方、遠慮なくお声掛け下さいませ。私たちは一緒に歩む仲間を求めています。もしこの文章を読み終えるまでにあなたの心に何か高揚するものがあったり、ワクワクするものがあったりしたら、それはあなたが共感した印かもしれません。